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| 塔時計(タワークロック) |
去年(2006)8月1日から塔時計を含めその関連工事の槌音が鳴り始めてあっという間にまた暑い夏がやって来ました。その間、このプロジェクトを企画していただき、また、理解していただき協力の労を下さった方々、体を動かして実労していただいた方々、騒音・埃などご迷惑をお掛けしました近所の方々のご協力には心から感謝いたします。やっと、外観が現れてきて、前の大黒町レンガ通りを通っておられる方は、かなりの確率で興味深かそうに塔時計を見上げてくださっていますので、皆さんが愉しんでかわいがってくださって話題を呼び、大黒町・福山市の名物に育ってくれればと思います。この塔時計のいきさつなどをまとめましたのでここにアップさせていただきます、もっともっと書きたいことは山ほどありますが、あまりに長くなってしまいますので、味噌だけ・・・
塔時計(タワークロック)
緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴りますキンコンカン メイメイ仔山羊も鳴いてます 風がそよそよ丘の家 黄色いお窓は おいらの家よ・・・作詞菊田一夫・作曲古関裕而でおなじみの童謡“とんがり帽子”の一節ですが、皆様この歌詞から何を連想されますでしょうか?人それぞれさまざまな情景・記憶を思い起こされることでしょう。
私は、福山市民病院勤務の後、地元の福山で昭和56年3月3日(耳の日)に、色々な因縁の出会い・経緯を経て、水野勝成公入府当時(1600年代)に作られた城下町のひとつ、福山駅北に位置する大黒町へ耳鼻咽喉科医院を開業させていただきました。当時は、まだ現在のように市の中心部の商店街の空洞化は進んでいませんでしたが、ここ福山でも確実に旧市街地から田畑のひろがる東西南北の周辺地域へのドーナツ化現象が進んでゆくだろうと感じていましたので、一般的には医療マーケッティングという点ではこの流れに逆行するような選択のように思われますが、ある人との出会いと私の反骨精神がこの選択をさせて現在に至っています。そこで、さらに気持ちを引き締めて患者さんにより良い適切な診療をして、心のこもった手作りの診療を提供することによって、患者さんに来ていただこうというのが開業時の心構えとしました。また、地元に溶け込んで皆さんからいろいろと相談といっても医学的なことが主体で(私の祖父の時代の医者ように何から何までのような相談は受けられませんが)他科の病気・健康についても相談を受け、アドバイスが出来るようなホームドクターになれればと思っていました。幸い大黒町は、小さな町で一声かければ、商店街の主人達がさっと集まるという具合でした。当時、福山駅南側にデパート・大型スーパーが集中し、線路より北側のあたりは、南側に負けていましたので、これに対抗しバランスをとるために北部開発努力会を結成して、そのころでは、常識破りと思われていた商店街のアーケードを撤去して緑と空と空間のある街づくり、PPM(PARK・PARKING・MARKET)計画を展開し、凋落傾向にある街を復活させようと、町内の舗道を、赤レンガと御影石のブリックロードにして、緑で心に潤いを持たせ、温もりのあるハイカライト灯をつけた出来合いではない我々のオリジナルの手造りの街作りをしています。また、町内一丸となって、5月のバラ祭りのローズパレードには、毎年古式とんどや人間国宝7代目玉屋庄兵衛作のからくり人形や大黒町の名前にゆかりの七福神でFACM(福山・自動車時計博物館)と共に出場し、お盆のふくやま祭りには、備後福山郷土芸能保存会の手ほどきを受けた伝統のうらさびしい独特の調子に合せて、町内の社中の人たちと二上がり踊りを踊って福山市のイベントに参加して、協力しています。秋には、当院の真正面にあります最近、受験の神様として人気のある大黒様の大黒神社があり、例大祭ともちつき・神輿・奉納神楽と町民同士、体を動かしてふれあい、情報交換・懇親の場となり、まとまりのある商店街となっています。これからは、当時の壮年たちも歳を取って世代交代が重要となって、次世代の人たちが帰ってこられるような街に変えなければなりません。前置きが長くなりましたが私の仕事はそのようなことでまずまず順風に仕事も進み、10数年が経過しますと中だるみというかマンネリ化というか心に隙ができたのでしょうか?1996年7月14日、こともあろうにパラグライダーで墜落して腰椎3個を圧迫骨折する大事故に遭ってしまいました。幸い、当時福山国立病院整形外科の先生のお陰で下半身不随、大小便垂れ流し、車椅子の生活になることなく奇跡的に回復して、今では人並みにスポーツが出来るまでになり、テニス・スキー・釣りと愉しんでいます。この事故をきっかけに物の考え方がプラス思考になったように思います、ゼロかマイナスになっていたかもしれないのに、このように生かされていると最悪の事態に比べれば、何がおきても怖くは無いし、失うものが何も無い者はとても強くなり居直りのような気持ちになってきたと感じます。すべてがもうけものと考えられるようになりで、精神的なストレスも溜まりにくくなって毎日がとてもハッピーな気分で過ごせ、考えようによっては、何が幸運か?塞翁が馬ですので、なんでも諦めないようにねばろうとも思っています。
早朝と夜のレンガ通り大黒町商店街と受験の神・守護聖人さすり大黒様。
ばら祭りローズパレードに参加。七福神とからくり大黒天とFACMのボンネットバス。
夏のふくやままつり二上りおどりパレードへ町内の方や息子2人と一緒に踊りました。
秋の大黒神社例大祭。儀式と餅つきと神輿と神楽で愉しみました。
事故から10年経って、数年前いまからは、このお陰や幸せを自分だけで愉しむのではなく、世の中の皆さんも愉しめる何かが出来ないものかと考えていました。私は、新聞・TV・雑誌などメディアにも取り上げられて、良くご存知の北吉津町にある福山自動車・時計博物館(FACM、能宗孝館長)の理事をしています。ドイツから自動車・時計関係の視察団がFACMへ来館された際、館長に懐中時計や小型の掛時計の類は沢山コレクションがあるが、塔時計(タワークロック)が無いということを指摘されたと館長から聞きました。欧州の街では、よく見られる街のシンボルとなっているような巨大な建物と一体になった塔時計は想像を超えています。ロンドンのビッグベン・ベネチアの時計塔・ミュンヘンの市庁舎・ウィーンのアンカー時計とちょっと考えても“出来るわけないわ”と普通の人は諦めますよネ?常識的には大型の塔時計のコレクションは、日本では、不可能で頭の中ではじめからありませんでしたが、このコメントがきっかけとなり、前館長の能宗敏雄氏の追悼メモリアルも兼ねて時計博物館の趣旨にも沿い、やってみよう・挑戦してみようということでこのプロジェクトはスタートしたわけです。まさに、夢のような夢のあるプロジェクトの話を聞き、皆さんに愉しんでいただくという私の夢・希望と一致するので、私にもやらせてくださいとなり合流させてもらうことになった次第です。
欧州主体に、結果的に60余もの機械式時計が集まってきました。次々と時計の納まった木の梱包箱が博物館に届いて大変なカオス状態になってしまいました。なにしろ日本でいえば関ヶ原の時代の1600年頃のものから第2次大戦頃のものまで錆びついたり、部品の欠損があったりのガラクタ同様?と思われる代物まで玉石混合の情況です。これらによって、現在の機械工業が産業革命を越えて発展してきたことの証左のように実感出来ました。これらを分類して作動の原理を研究して玉石を分けて、塔時計に再生して使えそうなものを選び出す作業が待っています。入手した時計群で実働しているものはわずかで、欧州でもコレクターが、持っていても倉庫で眠っていたり、持て余して放置されていたりの状態ではなかったかと想像されます。というわけで、部品も全部がそろっていなかったり、欠品・破損があったりで、多くの時計を比較することで総合的に時計の原理が解り、再生のためには、どのような歯車・軸受けなどが、どこに必要かが徐々に解ってきて、どの機械(ムーブメント)が、再生可能で、ただ展示するのではなく、現在の世の中で動いてくれて、皆さんに時報をおしらせすると共に、心に響く鐘が鳴ってくれなくては鳴りませんので、ある程度精密なものを選ぶ必要があります。これらの条件を満たす機械をとして、白羽の矢を立てたのが、百数十年前のイタリアのGENOVAのFEDERICO TERRILE RECCO製のおもりが動力の重力時計に決まりました。僕の塔時計のイメージとしてはノートルダムのせむし男のような下男がいて、ゼンマイとか電気モーターではなくて人の力で動力源となる錘を、えんこらうんこらといって塔の上に吊り上げてニュートン先生の引力によって機械が動き出すという感じをもっています。重量感と威厳があり古典的で、いかにも機械という感じが大変気に入りました。しかも正に偶然というかこの条件にあった機械が塗装色こそ違いますが、同じメーカーのほぼ同じ仕様の兄弟分が2つあることもわかり、これをFACMと当院へ設置することとしました。そのうえこの機械はスリートレインといって、1)時計の針を動かし、時間を表示する装置 2)毎正時に時間に合せて鐘をその数だけ鳴らす装置 3)希望の時刻に合せてオルゴールの原理よろしくキャリヨンによってメロディー・音楽を奏でる装置の3つが出来るものです。ちなみに日本で時計台といえば札幌ですが、これはツートレインで先の1)と2)の動作しかいたしません日本のナンバーワンを狙うには恰好の装置で、モチベーションも沸いてくるというものです。
5階の屋根裏の機械室に設置されて、毎日時報を鳴らし始めた重力式スリートレイン時計の本体。
これからが本格的な再生・蘇生作業に入るわけです。不足していたり歯が欠けていたりする歯車の調達や長年の間に磨耗して偏心してしまっている軸受けやブッシュ類(現在では、精密なベアリングですが、この時代のものは真鍮製です。)の調達、時計の機械(サイズが180cmx155cmx90cmです。)を載せる台座も全部は揃っていませんので、オリジナルを参考にして、職人さんに依頼して雄型・雌型の原理で砲金鋳物で新たに作成しました。その際驚いたのが、この福山に小さな町工場があり、そこには日本の近代産業・工業発展の下支えをした優秀な技術をもった職人さんが居られたということです。われわれの趣旨を理解していただき、この方たちがあまり採算には乗らないと思われるワンオフの歯車を、作ってくれました、有難いものです。
ムーブメントの動きのリズムをとる振り子ですが、アームの長さは110cmでその先に直径20cm厚み3cmの使い込まれた鉄製の円盤で男性の顔のレリーフがなされています。振り子の動きを制御するのが脱進機というもので櫛で輪を作ったような格好のものがあり、櫛の歯の間にかにの爪のようなカムが交互に入り動きのリズムを一定に保っています。コチコチという時計の音はここから出ています。これでムーブメントの主要部品が揃ったということです。
使い込まれて黒光りがする振り子。
リズムを刻みコチコチの音源の脱進機。
これらの部品を台座に、時報用装置やキャリヨン用装置の軸受けの位置を決めて(失敗は許されません、何回も計り直して慎重に決めます)ドリルで軸受けの位置に穴を開けて、装置をセットしてゆきます、毎晩ほんの少しずつかたつむりのごとき進行状況です。
時計ですので、当然文字盤が必要になります、当院の場合、直径約2mで東西南北四面必要です、全くありませんので札幌の時計台を参考にして新たに作らなければなりません。なにせかなりの大きさと重量になりますので、どのような材料で作れば、歪みがなく、外部に露出していますので雨風に対して耐久性も必要ですし、設置場所が5階の屋根の上ですので、吊り上用のフックも必要ですし、保守点検用の窓も札幌は1つですが、当院用はメインテナンス重視で上下左右に4個取り付けました。さらに、ライトアップ用の電灯も取り付けました。見栄えも良くなくてはなりません。このノウハウはマル秘です。時間を示す文字盤の数字もオリジナルが四面分揃っているわけではないのでオリジナル(針は米国から手に入れ、金箔?が塗ってあるように見えましたが)を参考にして、木材を削り、視認性も必要ですので、黒色のカシュー塗料を何重にも塗り重ねて光沢と耐久性を出すようにしました、12個掛け四面ですので、大変な数です。
次に、時を示す針の話に進みます、四面分必要ですが、こちらも数が揃っていませんでしたので、文字と同じようにレプリカを同じ手法で作りました。針は、文字盤の中心から時針・分針が出ていますが、文字盤に取り付け実働させるにあたって各々の針の重心が文字盤の中心に来ないと、毎時0分から30分までは、重力で針がさがり、30分から60分の間では、重力で針が上がりにくくなりますので、ムーブメントにコンスタントな負荷が架かってくれません、これでは困りますので、針の反対側に細い鉄棒を取り付け、バランサーの位置を調節して、重心を文字盤の中心へもって来ています。よく目を凝らしてご覧いただくと気付かれると思います。
ムーブメントの動きを文字盤の時針・分針に伝える装置も工夫が必要です。基本的には、ムーブメントの回転運動を傘車のようなギアで方向を変えてユニバーサルジョイントを介して、1本の細い鉄の棒に繋いで約3.5m上のベベルギアに導き、そこでさらに水平方向に変えて4方向に分割して文字盤のすぐ裏のあるポイントギアへ導き、分針を1回転すなわち360度回る間に、12分の1すなわち30度に減速して時針を回すという仕組みです。皆さん、1本の鉄棒の動きが、東西南北の四方に分かれて、なおかつ分針・時針を動かすなんて不思議だなとか、そのメカに興味をいだかれませんか?種明かしですが、分針・時針が、丁度注射器の内筒・外筒のように同軸になっています。第一段階で分針用の軸に歯車を付けて外部にある歯車に連結し、第二段階でこの動きを時針用の軸に付けた歯車に連結します、減速比は各々3分の1と4分の1で、合せて12分の1になるというわけです。回転方向も一旦逆方向になりますが、最終的には分針と時針が同一方向に回転します。このセットはドイツ製のオリジナルで埃と錆びと機械油で汚れていた状態でしたので、灯油とブラシで汚れを落として磨いて油を差してかなりスムースに作動するような状態に出来ました。これらの作業は、今冬の寒い時期博物館の収蔵庫の工場で、診察の後、完全防備をして(しっかりと暖かくして)行いましたが、以前からあった高尿酸血症がついに悪さをしてくれて、右足小指に発作が出て、ステロイドとザイロリックのお世話になり、現在もヒヤヒヤで節酒中です。このベベルギアとポイントギアのセットを時計塔の中の狭くて高い位置に東西南北四方に同じレベルに取り付けるということは、我々のプロジェクトチームにとっても計算上はOKでも神業的で祈るような気持ちでした。しかし、いつでも不都合があれば皆でアイデアを出し合って、プロジェクトXさながら解決策を見出してきました。いわゆる“現場あわせ”という考えです、充分計画・計算してあってもいろんなトラブルが発生します、これに対して、蓄積した知恵・経験を生かして、最善の対策・対処をして粘り抜くという人知で、これは、そのまま、われわれの医療の現場でも当てはまることで、通り一遍のマニュアルでは、対応できないケースがいくらでも起きるわけで、マニュアル・ガイドラインばやりですが、基礎的な理論・知識に裏付けられたベースの上に経験という客観的には計り知れない財産を生かした手作り作業が、大量生産・大量消費がまかり通る効率・経済性優先が是とされるほかの産業とは違うのだということを、世の中の皆さんから理解していただけるように医師会活動の軸のひとつのしていただきたいものです。5階の機械室のムーブメントに付いているモニターの小さな文字盤と時計塔の四面の皆さんから見ていただく大きな文字盤の針を一致させるのも一苦労で、塔の外と内と上と大声で連絡して、進めたり遅らせたりして四面ほぼ一致させることが出来ました。
時計本体からこの傘の形のハグルマで塔の上部へ回転運動を伝えます。塔上部に設置したベベルギアによって、東西南北4方向に運動を分割して伝え、文字盤裏のポイントギアに導き、文字盤の長針・短針を動かせます。
つづいて、時報を知らせる鐘とムーブメントを繋げて、毎正時にその数だけの回数鐘を叩いて時を知らせます。この鐘は、1845年の刻印のある仏製で材質はブロンズです。これを打ち鳴らす方法も3種類あり、外からハンマーで叩く方法と鐘の中にハンマーを吊るして内側から叩く方法と鐘自体をスイングさせて内側のハンマーに当てて鳴らす方法が出来るように細工しています、通常は最初の方法でムーブメントからワイヤーで運動を伝えて、外側のハンマーで鐘を叩いて時を知らせています。この鐘の重量も相当なもので直径50cmあまりでこの釣鐘のてっぺんの穴に鉄のぼうとうを通し木製の枠に固定して5階の胴間の下の鉄製のアームに取り付けた軸受けに差し込んで固定します。なにせ、5階のベランダの上での作業で、人海戦術で載せたものですから、怖かったです。時報を毎時その数だけ打つ装置は、いくら現物を見てもその原理がよく解らないほどのもので(巻き貝のような形状の刻みがあるディスクを介してレギュレイトされて動いています)、先人達のすばらしい知恵の結晶だと思います。時間になるとピンがアームを押し上げてストッパーを外し、錘の重力でその所定の数のところの溝にピンが掛かって、時報を打つ鐘用の器具が、ひとノッチずつ進んで、所定の数だけハンマーで鐘を叩いて止まります。
ムーブメントの拡大。このハンドルを回して、50kgの錘(石)を毎日巻き上げることが、日課になりました。これは、外の文字盤のモニターで、この裏にあるピンで右のギザギザのある部品を動かして毎時所定の数だけ鐘を叩きます、偉い!
そして、もうひとつ札幌の時計台をしのぐキャリヨンですが、ムーブメント側からの運動はムーブメントの歯車と噛みあったキャリヨン側の24時間用の円盤・ディスク歯車に繋がっていて運動を伝えます。円盤・ディスクには15分毎に鳴らせるようにピンを打てるネジ穴があり、鐘を鳴らせたい時間にピンをセット出来ます。この円盤・ディスクには、このプロジェクトを記念して私の名前と歯車を切ってくれた職人の名前とメモリアルデイを刻印し赤い塗料を塗りこんでいます。このピンの付いた円盤がムーブメント側の歯車よって回転させられて、所定の時間に来ますとそのピンがキャリヨンのトリッガーとなっているアームを持ち上げて、機械的スイッチによってキャリヨン用の約50kgの錘の重力が開放されて、オルゴールのピンを弾くための円筒形のドラムをご存知と思いますが、あの理屈を用いた叩打装置を回転させて、時計塔の上部に設置されている鐘を叩いてメロディーを流します。この鐘は時計塔の文字盤のさらに2m上にある(隠しているわけではありませんが外からは見ることが出来ません。)札幌の時計台と同じデザインのとんがり帽子?の屋根の下に1700年代から1900年代の伊・仏製の5つの鐘が吊り下げられていて、ハンマーで叩かれてそれぞれの固有の音が鳴り出すようになっています。ですから、音楽とは言い難いもので、子供が適当に鍵盤をたたいて音が出ているというレベルのものです、どなたか作曲?調整していただければ嬉しい限りです。
キャリヨン(オルゴールのようなもの)を24時間いつでもに鳴らすようにセットする穴の開いたギアには、製作してくれた職人の名前と私の名前と製作年月日が赤く刻印してあります。キャリヨンを鳴らす、ピンの付いた装置。時計塔の最上部の屋根の下には、1788年から1800年代の5つの青銅製の鐘が吊ってあります。
理屈上は以上のようなものですが、なにせ百数十年前のものです、なでたり・さすったり・時にはムチをいれて、歯車の噛み合せもきつくもなく、緩くもなく少しずつファジーに感覚的に調整して、ムーブメントに架かる抵抗を頃合にするように軸受けの位置やネジの締め具合や偏心ボルトの調整をして、本尊さまのムーブメントと2つのしもべが死なないようにします。振り子を動かしても数分で止まってしまったり、数時間動いて喜ばせてくれたのに次の朝には死んでいるというような繰り返しで喜怒哀楽の日々をすごしました。ムーブメントやほかの2つの装置を動かせるエネルギーは約50kgの石の錘の重力で時計塔の内側の3隅に筒を作ってあり、エレベーターが上下するようにこの筒の中を、石を載せた箱が天上からワイヤーで吊り下げられて滑車を数個介して、機械室にある手動ウインチで巻き上げています、クリーンエネルギーというわけです。この重さについては、平成7年1月から2年5ヶ月と3億5000万円かけて修復を行った重要文化財の札幌時計台の工事報告書をFACMの優秀な学芸員が入手してくれて、その資料・文献、時計守りのお話などを参考にして試行錯誤の結果、この重さに決まりました。
これから先、この石の入れ物も8角形をした古典的なものがニューヨークから入手しましたのでレプリカを作って換装する予定があるのと、錘の石も只の路傍の石ではなく、ぼくが子供の頃よく遊んだ郷土を流れる芦田川の石を国土交通省にお願いして長期借用・利用させてもらえるようにお願いに行く予定です。
さて、機械類が出来てもこの塔時計を載せる建物をどのようにするかという問題があります。現存する日本の代表的な札幌時計台・高知安芸市の野良時計・呉の旧海軍工廠の時計・東大はじめ各大学・公共建築の時計とか先に述べた旅行先の欧米の塔時計の写真などを引っ張り出して参考にして考えを練り、この大黒町に4半世紀お世話になり、北部開発努力会が目指している明治鹿鳴館調、PPM(Park・Parking・Market)計画にそった調和のある町並みと思い、神戸・長崎の異人館や各地に残っているその時代に立てられた明治鹿鳴館調の雰囲気を持った建物を見学し参考にしました。
すなわち、建物の周囲を廊下が取り巻き、轆轤で装飾を加えた手摺を取り付け、窓もアルミ製ではなく、木製とはいきませんがスティ−ル製を特注(現在では、鉄製のサッシは注文がゼロだそうです)し、現在はまだ付いていませんが、窓の外には両開きの鎧戸を取り付ける予定です。その固定金具も真鍮製を探しましたが、今の日本では目が飛び出るような値段です、世界的には、インドが世界のマーケットを独占しているようです。当院用は、私がマレーシアの中国人商人からと上海の骨董屋からFACM館長が手に入れてくださったものや友人の家の古い金具を譲っていただいたものを当てる予定です、昔を思い出し、古いものを大切にしようという考えです。女房作のレトロなデザインのステンドグラスを窓に嵌めてポイントにしています。建物の外壁材として、近代的なサイディングではなく地元産の木材を使って、うろこ状に重ねて張って洋館の雰囲気を出すようにしました。これからDIYよろしくペンキ塗りのメインテナンスが肩に架かってきますが・・・板が反ったり、曲がったり、重ね塗りのペンキで数十年後には風味が出てくると期待しています。ランプ類・樋にも気を遣っています。
白・緑・茶を基本にした全景です。全周に手摺の付いたベランダを配し、壁は板のうろこ張りです。
時計塔とてっぺんに風見鶏。鐘のむこうに福山城の天守閣が望めます。
中庭の駐車スペースには、アメリカ楓のある噴水公園があります。
そして、時計の載る塔と最上階ですが、緑青の吹いた凛々しい雄鶏の風見をてっぺんに配し、札幌の時計台の屋根と同じデザイン構造の屋根を載せて、その屋根の下の塔には、私の家のキッチンや家具のデザインの止輪・中面・台輪の一部をサイズを変えて取り入れています。時計塔の上部にキッチンの止輪のデザインを大屋根と軒の間には、キッチンのデザインの中面を取り入れて建物とキッチンと家具のデザインの統一を図っています。塔の屋根の下と大屋根の下には、札幌時計台風にレースのヒラヒラのようなデザインの破風を取り付けています。
建物各所に我が家のキッチン・家具のデザインを取り入れて造りました。軒下の止輪や中面。破風の下は、札幌の時計台のパクリです。
最上階の機械の設置してある屋根裏部屋には、その扉を開くとタイムマシンに乗って、百数十年前の時計の時代に戻ったような錯覚を起こすようにと、また、エジソンなどもこのような木小屋で発明をしたのではなかろうか?という感じを出すために、古い家を手に入れた充分乾燥して、木目も浮き出て、適度に汚れて歴史を感じる肥松の板材を丁寧に剥がして釘を抜いて洗ってもらい、大工さんに喘息の気道粘膜のリモデリングよろしく床・壁・天井をジグソーパズルのように貼っていただきました。ボロく見えるように張るのですから、大工さんも戸惑っていました。わたしは、この汚れ加減がとても気に入っていますし、ことほか断熱効果があり、今で言うところの外断熱です、日中この屋根裏部屋にあがっても暑くありませんし、風通しも良く、わたしの家のナンバーワンの部屋かもしれません。胴間の窓から福山城の天守閣も近くに望め、眼下の駐車場の一部に縁起の良い、幹の周囲が120cmのアメリカ楓の緑と噴水が見え、再生した百数十年前の時計の鼓動を聴けるのは、最高の気分です。まだまだ、発展途上で次々とアイデアを持っていますので、これらをどのように実現させて行こうかとワクワクしています。
5階の屋根裏機械室には、古い家から手に入れた古材を丁寧に貼り直しました。古い金庫やオルガンも置いています。
現在、朝8時から夕7時まで時報を鳴らせ、8:30・10:30・12:30・15:30・17:30ころにキャリヨンが鳴るようにしていますが、朝に昼に夕にと屋根裏まで登ってウインチを巻いて、文字盤のライトアップと灯台守りならぬ時計守りをして足腰を鍛えています。時々、忘れることもありますのでその時はご容赦くださいますように!
近くにお出での際には、見に来てください、また、時間がございましたら声を掛けてくだされば、ご案内させていただきます。この鐘を大空に鳴らせて結婚式を挙げてくださる方がおられましたらご連絡いただければ、こちらも是非とも協力させてもらいますし、最高のよろこびと思います。この稿を終わるにあたり、このプロジェクトに参加され協力をいただきました、FACMのみなさん、菊屋マンションのスタッフのみなさん、機械屋さん、建物の建設工事関係者のみなさん、ボランティアーで協力いただいたみなさん、工事の振動・騒音・ほこりでご迷惑をおかけしたご近所のみなさんの協力でここまでくることが出来ましたことを心から感謝いたしますとともに、みなさんの心に響く時計の鐘を鳴らせて福山の名物になって、診療でも頑張ってゆきたいと思います、多くのページをさいてくださいました、福山市医師会にも感謝申し上げます。
’07・8・5